もっと変化に対応していかにゃならんな。今にあぐらをかかずに挑戦するきもちが必要だな。なんてことをおもいましたので、日記でも書こうかとスマホを握りました。
みなさんには、大切にしてる言葉ってありますか?常に心に留めておきたい言葉ってやつ。座右の銘ってほどでもないですが、私にも事あるごとにおもいだす言葉があります。
生き残るのは
最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく
適応したものである。
って言葉。
チャールズ・ダーウィンの有名な名言です。生物学者で「ダーウィンの進化論」の人ですね。
絶滅せず生き延びた生物のことを説明した言葉です。
例えば、生物って体が大きければ強くて生き残れそうなんだけど、食べ物が少ない時代になると死んでしまう。あったかい時代にのうのうと生きていると、さむい時代に死んでしまう。食べ物の減少や温度の変化に対応して進化したものが生き残れるんですよ、という意味です。
これって人間にも当てはまることが多いなぁと実感します。生きるとか死ぬとかいう話ではなく、人間の場合は存在価値にあてはめてですが。
最近、時代に適応できずに老害といわれる存在になっている人もいますよね。また、現状に満足して変わろうとしないまま廃れていく人もいます。
生き残る芸能人とか見てると変化してニーズに適応してるなっておもいます。そういう感じ。
適応できない本人は、わりと幸せそう。でも最後にはその存在が薄れていきます。それどころか厄介な存在になることもあります。
目次
変化に適応できないパターン
なぜ変化に適応できないことがあるのだろうか。考えると次のいずれかのパターンだとおもうんです。
変化に気づいているけど適応しない
変化してる?まぁ適応しなくても生き残る自信はあるよ。だってこれまで自分の力で生き抜いてきたからね。という自信と慢心から適応できないパターンもあるでしょう。
頑固なプライドによって適応できない。中には適応することで自分の存在が薄れるという不安を持つ場合もあるとおもいます。
変化に気づかないから適応してない
外からの情報に無関心で気付けば時代遅れになっていたパターンですね。これは半分は自分のせいではない気がしてかわいそうですが、気付けば時代遅れになっている時点で生き延びるセンスがないとおもいます。
そもそも生き残る気がない
このパターンは自業自得。そんなことはどうでもよくて、今がよければいいとおもっているのでしょう。気楽で楽しそうですが、長い目でみると残念です。
パターンにはまらないよう、気をつけていきたいものです
会社でも、時代に合わして変化していない会社はつぶれます。とか言うと話は難しいので「ご飯」の話にたとえます。
今日はカレーが食べたい。でも夕食は冷麺でした。辛くもなければあったかくもない。米すらない。カレーとは対照的なメニューでした。
ここでどうするか、頑固にカレーじゃないから食べない?お腹すいたから冷麺でも食べる?
ここで冷麺を食べる人が生き残れるってことなんです。
変わらないことへの焦り
簡単にいうと、変化や環境を受け入れるってことが重要なんです。変化を受け入れるってことは挑戦するってことですが、挑戦する気持ちがあれば成長できるし、存在が生き残れるってことだとおもうのです。
そんなことを考えていると、身の回りに変化がない、つまり安定しすぎた現状に不安を感じます。何かに挑戦しないといけないきもちになります。
ずーっと同じことをやり、安定している。でもそれって進化ではなく退化しているんじゃないかって焦ってきます。
まとめ
変わらないことはいいことだけど、変わらないといけないこともあるんです。
難しいですが「変化に適応」頭の片隅においておくべきだなっておもいます。
流れのはやい時代、ますます変化への適応力が問われます。変化を受け入れてますか?挑戦してますか?
マンネリ化した毎日や現状に疎外感をかんじたとき、変化のタネを探して挑戦してみる。そんな気持ちを持たないと進化はできないんです。進化ってたいへん。
今のままで進化できるか?たまには自分へ問いかけてみるといいですね。できることなら生き延びたいし、そうおもいましたとさ。