季節は秋から冬へ。日没も早まったなぁとおもったとき、おセンチメンタルになり、はてさて、日記でも書こうかいなって気持ちになる。
歳をとると嫌なことがあります。身内や知り合い、こちらが一方的に知ってる人など、誰かが亡くなったと聞くことがふえてきます。
そんな訃報を聞くたびにおもうのです。
「人生は有限なんだな、有限の時間の中、何にしあわせのポイントをおけばいんじゃろか。」
人生とか、しあわせとか、考えるのは面倒だから、立ち止まって考えることってあまりない。
考える機会としては、誰かが亡くなった時ぐらいだな。そんなときは亡くなった人に対して感謝する意味でも「人生の時間やしあわせ」について少し考えてみることにしている。
人生の時間って何
人生は終わりがわからないけど、有限の時間であることは確か。必ず終わりがあるんだなって思うと、時間を使ってがんばって働いてもお金を稼いでも、最後はゼロになるんだろって少しあきれてくる。
それなら友人や家族や自分のためにすごす時間をたいせつにしたいっておもう。鍋をつつく時間とかいいじゃないか。
自分がなっとくする時間を過ごせるのがしあわせ。それが1つの答えとおもうな。
そもそも時間ってなんだろうかと考えたとき、時間には2種類あるんじゃないかと気づいた。人のために使う「奉仕の時間」と自分のために使う「自由の時間」。
一見、自由な時間がしあわせとおもいますが、奉仕の時間も必要だとおもうんです。
奉仕の時間には自由の時間になるはずの時間を犠牲にするけど、時間を犠牲にしたぶんだけ対価が発生するってよさがある。例えば仕事に時間を割いたらお給料がもらえます。家事や人の手伝いだって喜ぶ顔や感謝を得ることができる。
この対価って自由の時間を充実させるために使えるんだよな。
つまり、奉仕の時間と自由の時間をバランスよく繰り返すことがけっこう重要だとおもうのです。
しあわせって何
しあわせとは何なのか?最初に頭に浮かぶのは「知るか!」という文字。
しあわせってクセものだとおもうんです。決まったものはなく、形もなけりゃフワフワしたもので、見えそで見えないもの。
自分がこれが「しあわせ」って決まれば、それはしあわせってことになる。しあわせっておもえば今がしあわせになる。つまり、心しだいなんだな。だから「知るか!」ってなるわけです。
しあわせなんて分からないままの方がしあわせを感じられるのかもしれませんね。人生に正解はないのが正解と同じ。
しあわせについて考える時間を持てることがしあわせだったりして、なんておもいますね。
まとめ
いやー今回はくどいテーマでしたね。もう、まとめにはいろっと。
私としては人に迷惑かけず、人のためにあるていど奉仕の時間をつくり、自由の時間は平和にすごしたい。それだけ。
奉仕の時間があるからしあわせは高まり、自由の時間があるから自分もしあわせを感じられる。そんな感じ。充実したなっておもえたら、しあわせなんじゃねぇの?
本題である「人生は有限なんだな、有限の時間の中、何にしあわせのポイントをおけばいんじゃろか。」についての答えは分かりません。
ただ「のんびりと時間をすごし、たまには充実したなっておもいたいな」とおもう毎日です。限りある時間、あせっても同じ。自分のペースでいいんじゃないの。
以上、私の気持ちでした。幸せなんて価値観や経験、現状でさまざまな意見があります。人に教えるしあわせの答えはありません。
今回いいたいのは、人生やしあわせについて考える機会があればそれなりに考えてみようということ。この記事がその機会になればいいな。
おわり。