日記

資料作成に膨大な時間をかけて没頭する理由

仕事ではよく説明資料をつくります。資料をつくる目的は偉い人に「それで進めてくれ!」という言葉をもらうためです。

納得がいかないのは「それで進めてくれ!」という言葉をもらうためにどれだけの時間をついやしてんだ。資料作成の時間多すぎ!なこと。

膨大な時間をかけてつくる資料ってそれほど重要なものなんだろうか。本心ではムダだと思ってます。

なぜならそこまでしなくても「それで進めてくれ!」という言葉はもらえる自信がある。その言葉をもらうためにどれだけのデータやストーリーが必要だというのだろう。

データをかき集めては組み立てて、やっぱ違うと作り直し、さらにはみんなの不安を解消できるストーリー求むだと。そんなに理由が必要なのか。ポイントになる理由ひとつで「それで進めてくれ!」の言葉はもらえるはずなのに。

そもそも資料なんてものは半分が自己満足のためにつくられる。かかわる人たちの想いを乗せてつくられる「検討しました」というタイトルの作品。

それはくどく色彩ゆたかにつくられる。写真もたくさん載せて親切をとおりこした不親切。いつしか結論より情熱を表現していこうぜのノリ。

私にはこの納得いかない資料作成を断ることができない。断るほどの情熱も持ち合わせていない。

資料作成を自分の腑に落とすための考え方

資料それは…「アートだアート」と自分にいいきかせている。アートといっても人によって感じ方がことなってはいけない。感じ方、すなわち結論はひとつでなければならないのが腕の見せどころ。

「検討しました」というタイトルのアート作品で感じさせたいことは「これで進めていいですか?」のひとつだけ。

アートを見た人が思わず「それで進めてくれ!」という作品の完成度が必要。それが作品のすべて。
というぐあいに展示会という会議にむけて資料をつくるわけです。

資料を作る必要性を理解する

資料はくだらないアート作品であるがつくらなければいけない理由もある。それはアートは残してこそ価値があるからだ。昔のアートを見ればいろいろなことがわかる。

あの時代はそんなこと考えて、そういう表現していたんだ。とか、この作品にはそんなストーリーがあったんだねと未来の人たちに時代を伝えられる。

今はムダだと思っても将来役に立つアート。それが資料なんだ。たくさんの作品を残すことが芸術家には求められる。サラリーマンは芸術家なのだ。後世にアートをつうじて伝えたいことがたくさんあるのだ。

今、私の作ったアートは将来だれかの役に立つ。そう信じて作品作りに没頭していく。そう思わなければ腑に落ちない。サラリーマンは芸術家なんだ。

資料は将来のために作る、今を表現するアート作品なんだ。