捨てる神あれば拾う神ありって言葉があります。これは相手をしてくれない人もいれば助けてくれる人もいるから気にするなって意味です。
私は最近、身の回りの不要なもの処分し続けています。まさに捨てる神がごとくです。簡単に言えば断捨離です。断捨離とは不要な物を減らして生活の調和をとる生活スタイルを言います。
私の場合はスタイルでは無くただの断捨離キャンペーンですが、まぁ無駄を省いて身軽に効率的に生きようぜっていう精神は断捨離と同じです。
主に断捨離したものは次の通り。車を売り車の無い生活を始めた。家の家具とか要らないもの全部リサイクルショップに売ってきた。数年続けたスポーツクラブを退会してきた。
そうそう、ちょうど今スポーツクラブをやめた帰り道の花壇に座ってこのブログを書いているところです。
1つ言っておきますが決してお金に困っているわけでは無いですよ。春を機に純粋に生活を見つめ直したんです。
なぜ断捨離を実行したのか
動機は「本当に必要か分からないものを全部無くしてしまおう」と考えただけ。単純にイベントですね。なぜか一掃したくなる時ってありますよね。くだらない日常に刺激求めたら断捨離してたっ!そんな感じです。
考え出したらたくさん出てきたんです「無駄」が!クルマにかかる年間の費用すげーなタクシーで暮らせるやん。家狭いな買うばっかで全然物捨ててないやん。スポーツクラブのせいで帰宅遅いやん。とか…。ホンマに必要か?って思うことが身の周りに沢山あったんです。
断捨離したら気持ちはどうなるか
車、家具、スポーツクラブ。これ全部欲しくて手に入れたもの。それらを全部無くしてしまう断捨離を行ったわけです。
気持ちとしては二面があります。
まず、寂しさ。車なんて不便になるかもしれない不安もあるし、そもそも男のロマンでもある。スポーツクラブもやめたら太るんちゃう?っていう不安もある。
でも、解放感もある。実際に手放せば謎の解放感に包まれます。毎月の引き落としからの解放。車屋さんやスポーツクラブに行く時間からの解放。また、不要な物に囲まれた狭い家からの空間的な解放もある。
寂しさと解放感がありますが結果的には全部無くしてしまえば「気持ちがいい」。そこまで必要じゃなかったんだなぁ。物を持つことのプレッシャーというか無駄っていっぱいあったんだなぁと感じています。
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断捨離って言葉が一時の流行りでなく定着したのもよく分かります。実行すればいかに無駄に囲まれてたかよく分かるし、病みつきになりますね。
買うのも楽しいけど無くしていくのも楽しい。持っておくことがもったいない物もあるんだなぁと実感します。断捨離しすぎてミスっても物なんてすぐに手に入るし単なる整理、掃除みたいなものと割り切ることもできました。
お金も時間も空間も手に入る大掛かりな断捨離は気持ちが良く、生活が豊かになります。
後は、断捨離の効果をうまく使うことが課題です。無駄を無くして豊かになったお金、時間、空間、これらをどう生かして豊かに暮らすか。
個人的にはまた違う無駄に投資したいなと思ってます。ただのケチにはなりたくないですからね。
豊かに新たな無駄へ。そこまで突き詰めて完成ですね。いやぁ激動の春でした。しんどいけど楽しい断捨離っぽいことしましたよ。気持ち良さの反面、ほんま疲れたわって話でした。
おわり。