余計なお世話と親切の境目を探す

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人は人に支えられ生きていく。
人を支える方法は沢山あるが、その中には親切な行動というものがある。

親切な行動で難しいのが「相手が望むことをしているのか」という行動のレベル。
相手が望んでいない場合は「余計なお世話」になってしまう。
この余計なお世話と親切の境目がどこにあるか分からず最近悩まされた。

例えば、相手が買い物に行くとする。
自分は相手が買いたい物がどの店が一番安いか知っているとする。
これを教えるべきか?

相手が節約家なら教えるべきだが、金持ちで時間を有効に使うため近くの店で買う予定ならどうか?
また、節約家でもすでにもっと安い店を知っていたらどうか?

自分がやることが余計なお世話になる可能性は多くあり、親切とは常に余計なお世話と隣り合わせであることが分かる。

私は会社の偉い人に聞いてみた。
余計なお世話と親切の境目はどこにあるのか。

偉い人が言う正解はいたってシンプルだった。
相手を動かす親切は余計なお世話になると言うのだ。

例に出した買い物の話の場合、安い店を教えるのは余計なお世話ではない。
相手に情報を提供したのみで行動させていないからだ。

この場合で余計なお世話になるのは、安かったからと代わりに買ってくること。
相手は本当に買うつもりか分からないし、もっと選ぶ予定かも知れない。
代わりに買ってきた物が一番安いとも限らない。

でも買ってこられた以上お金を払わないといけないし、お礼も必要になる。
親切によって行動が生まれる。

親切から相手を行動させることは良くある。
やってみて。
食べてみて。
行った方がいいって。
一緒に行くわ。
などなど。

これらから行動を抜いて情報提供に留めるなら。
やってみたらこうだった。
食べたらこんな味でした。
行くとこんな感じでした。
困ったら誘って。
などなど。

相手は断る必要もないし、必要なら行動に移すこともできる。
情報はあっても困らない。
親切とは相手が断ることすらない気配りを言うのだろう。

ということは…
電車で席を譲る時。
「あっどうぞ」と言えば余計なお世話。
黙って席を立つと「親切」なのか。

そうか?
相手次第ちゃうか?

あぁ親切と余計なお世話の違いは難しい。
境目はどこにあるんだろう。

こんな記事を読ませるのも
余計なお世話かもな。

おわり。

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セレッソマン

セレッソマンを運営。 セレッソマンブログは、セレッソ大阪を盛り上げながら自分の人生の思い出を綴るために書いている。 つまり、セレッソ系ライフログメディア(自称)らしい。 兵庫出身で大阪で生活中のサラリーマン。 初めて行ったJリーグの試合はヴィッセルだった。(これは内緒らしい…)